(「日本とユーラシア(兵庫県版)」No.261、2005年8月15日号より)

コンソモリスク・ナ・アムーリェの中学生 今年も県下でホームスティ
 会員の田川滋さん、小林亜希子さんが日本語の講師をしていた、コムソモリスク・ナ・アムーリェの外国語教育センターの生徒が、昨年に続き今年も、神戸にやってきました。引率者のエバ・タタレンコさんと女生徒3人です。7月19日(火)から29日(金)までホームスティをしながら、神戸、京都、姫路、奈良と各地を観光し、また、交流しながら、日本を楽しみ、ロシアに帰ってゆきました。
 ロシアに帰る前日の28日(木)夕方から、木曜日のロシア語クラスの有志と、ロシア語と日本語で交流をしました。参加者はとても楽しかった、と話していました。

岩崎理事、今年もハバロフスクへ(8回目の夏期日本語講座)
 兵庫県日本ロシア協会理事の岩崎重芳さんは、毎年ハバロフスクで1ヶ月間「夏期日本語講座」を開いていますが、今年も8月22日にハバロフスクへ行きます。岩崎さんの夏期講座は、これで8回目となります。

ハバロフスクからイリーナ・ジュさん、今年のニューリーダー
 ハバロフスク地方からイリーナ・C・ジュさんが兵庫県の受入で来日しました。イリーナさんは、ハバロフスク地方政府観光課の職員で、5月に来日し、日本語を学習。8月1日から2005年度ニューリーダープログラムにより研修を受けることになりました。8月4日、協会事務所へ挨拶に来所しました。帰国は来年3月末の予定です。


『サマルカンド便り』(2003年6月14日)


 私が中央アジアのサマルカンドに来たのは1999年8月末でした。ウズベキスタンというよりサマルカンドという名前のほうが知られている、こういったこともここに住んでから初めてわかったことでした。それほど中央アジアについては何も予備知識を持たずに来たのです。

 その無学な私も、来て2ヶ月経つ10月に現地旅行会社と知り合ってからは、サマルカンドでの日本語教育に一つの道が見えてきました。サマルカンドは中央アジアで最も観光資源に恵まれている町です。この資源を日本語教育に使おうと考えました。
 それで、ただ教室で教えるのではなく、学習者に明確な就職の方針・目標を与えました。学習者に普通聞く「何になりたいのですか」ではなく「ガイド、通訳になるためのクラス」と、こちらから進路を決定しました。仕事がない、またコネが強いウズベキスタンでは就職が難しく、当然誰もがガイドになりたいのです。なりたいがどうしたらいいのかわからない、だからそのコースを作るのだと考えて今まできました。
 教室以外での活動を始めました。最初の年は私自身がウズベキスタンについて研究し、ガイドとしても働き始めました。観光業に身を置いたことがある私はサービスも少しは知っています。自分の準備ができたら、指導の開始です。まず、ウズベク語、ロシア語での研修です。学習者に母国語で知識をいれることから始めます。これはサマルカンドだけではなく、ブハラ、ヒバ、シャフリシアブズといった世界遺産の町々で行います。そして毎年夏休みに学生と開いている観光案内所での研修です。ここでは案内のし方、接客のし方、日本語でのガイドのし方など実務を研修します。この夏の2ヶ月に毎日通う学生は大きく語学力を始め、”大人”へと伸び、仕事ができる人材へと成長していきます。
 この活動を3年近く行ってきました。ガイドとしてお金をもらえるレベルの学生が何人か育ち、一応の結果は出ています。サマルカンドでは日本語は大学の第2外国語、または課外クラスでの科目です。これを見ても学習者たちはがんばっていると思います。この研修過程で総合的に日本語力も上がり、試験や弁論大会の結果にも好影響を与えていると思います。
 研修費用や観光案内所開設・運営費用などは自費でまかなってきています。ボランティアの身にとってはきつい出費ですが、学習者らとの研修旅行も楽しく、なんといっても成長していくのが見られることが一番の楽しみです。ガイド・通訳希望者は50名ぐらいいますが、まだまだレベル的には通訳がいません。これからはそのレベルの人材を育てるべく努力していこうと思っています。

サマルカンド
 山本 雅宣

『サマルカンド便り』(2003年4月22日)

19日、土曜日にウズベキスタンのタシケントで第7回中央アジア弁論大会が行われました。ウズベキスタン代表としてサマルカンドから3名の学生が出場いたしました。アフタモヴァイロダが3位入賞、ウスモノヴァグルサラが特別賞を受賞いたしました。皆様のご支援に感謝申し上げます。より一層勉強に、練習に励まなければと強く感じた大会でした。これからも学生ともども努力してまいります。皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。

サマルカンド
 山本 雅宣

『サマルカンド便り』(2003年3月2日)

兵庫県日本ロシア協会殿

ご無沙汰しております。みなさまいかがお過ごしでしょうか。先日は新聞を送って頂きましてありがとうございました。

昨日タシケントでウズベキスタン日本語弁論大会が行われサマルカンドの学生3名が2・5・6位に入賞しました。2位アフタモヴァイロダ、5位ホジエフザファル、6位ウスモノヴァ グルサラこの3名は4月の中央アジア大会に出場いたします。このような好結果が得られましたのも貴協会のご支援、ご協力のおかげと感謝申し上げます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

サマルカンド
 山本

『サマルカンド便り』(2003年1月1日)

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

雪   2003年1月1日 雪景色のサマルカンド ソグディアナの地に寝る純白の雪

白   日本の白無くと同じ意味が この地にもあります

史   2700年のサマルカンド この白に今年は どんな歴史を書き入れるのでしょうか
    それとも 誰かが書いてくれるのを 待っているのでしょうか

奮   書けるのは ソグディアナの民      古の都を今再び築けるのは 自らの手

生   そんなサマルカンドを 見続け 私もその中の1行の書き手になれるよう 今年も
     明るく 楽しく 強く 生きたいと思っています

     みなさまも お元気でお過ごしくださいませ

2003年  1月1日
 サマルカンド 山本 雅宣(まさよし)

『ペテルブルグで留学中』


 国立ペテルブルグ大学には留学生を受け入れる機関が二つあります。一つは本校で勉強できる機関と、もう一つはスモールヌィ旧女子修道院で勉強できる機関があります。私は現在スモールヌィ旧修道院でロシア語、文化を勉強しています。勉強は会話、文法、読み物、音声学、新聞、英語、また取りたい人はロシア民謡の授業などがあります。授業は全て自分に合ったレベルで受けることが出来ますし、またもし自分がそのクラスに合わない場合でも変更してもらうことも可能です。しかしこの校舎には外国人がロシア語を学ぶ校舎ですので、ロシア人は先生や事務の方しかいません。これを補うのが日本センターという機関です。こちらには日本語を学びたいロシア人が多くいますので、そこでロシア人の知り合いを作り、お互い日本語を教えたり、ロシア語を教えてもらったりしております。最初の頃はロシア語で、ロシア語の授業をするのはどのような漢字か?と思いましたが、講師の殆どが親切な方で、外国人慣れしているというのが第一印象でした。授業の内容は、東洋人だけの場合は教科書を重点に勉強していき、西洋人がクラスに加わると会話を重点に教科書を少し行いながら勉強をしていくのが殆どです。私は殆ど話すことが出来ない状態でこちらに来ましたが、今は何とか生活が出来るくらいまでになりました。毎週一度ロシア語検定が行われるのですが、それに合格するように勉強しています。

佐藤 俊一(大学生・中学時代、ピオネールキャンプに2回参加)

『日本とロシア』(兵庫県版)、No.251、2002年10月15日。

(佐藤さんは、2003年2月4日に元気に帰国されました。)